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長八記念館についてABOUT CHOUHACHI MEMORIAL HALL

入江長八と浄感寺

【入江長八(1815 − 1889)】


【入江長八】
入江長八 胸像
【十三世正観上人】
十三世正観上人掛軸
(長八作漆喰画)

漆喰(しっくい)と鏝(こて)で、絵を描き、あるいは彫塑(ちょうそ)して彩色するという独自の方法を編み出した 「左官の名工」伊豆の長八(本名・入江長八)。

文化12年(1815年)8月5日、長八は伊豆国松崎村明地(現在の静岡県賀茂郡松崎町)に貧しい農家の長男として生まれた。

3歳の頃から菩提寺の浄土真宗・浄感寺で学問を学び、当時住職であった十三世正観上人のもとで12歳の頃まで育てられた。

12歳のとき同村の左官棟梁(とうりょう)関仁助のもとに弟子入りする。その当時から手先の器用さで知られた。

天保4年(1833年)19歳のとき江戸へ出て御用絵師である谷文晁の高弟、狩野派の喜多武清から絵を学ぶ一方、彫刻も学んだ。
絵画や彫刻技法を漆喰細工に応用し、従来は建物の外観を装飾する目的で漆喰壁に鏝で模様を描いていたものを絵具で彩色して室内観賞用の芸術品に昇華させた。
26歳で江戸日本橋茅場町にあった薬師堂の御拝柱の左右に『昇り竜』と『下り竜』を造り上げて、名工「伊豆の長八」として名を馳せた。

弘化2年(1845年)31歳の時に弟子2人を連れて生まれ故郷の浄感寺の再建に係わり鏝絵を作成している。
天井に描いた『雲龍』や欄間を飾る『飛天の像』(静岡県指定有形文化財)は傑作とされる。
現在、浄感寺の本堂は長八記念館となっており、これらの作品をみることができる。

長八は江戸に戻り、東京都台東区の浅草寺観音堂、目黒区の祐天寺などを含む多くの場所で傑作を作り上げたと言われている。
明治10年(1877年)に第1回内国勧業博覧会に出品。
晩年、明治13年(1880年)にも65歳で故郷を訪れ、岩科村役場や岩科学校などで制作作業を行っている。
明治22年(1889年)10月8日、深川八名川町(現江東区深川)の自宅にて75歳で亡くなる。墓は故郷の浄感寺と浅草正定寺の二箇所に設けられている。



当館所蔵の入江長八作品

【雲 龍】

【雲 龍】

静岡県指定有形文化財


【飛天の像】

【飛 天】

静岡県指定有形文化財